TOP インタビュー 湧別町の未来を背負い、老舗建設業4代目は変革に挑む

湧別町の未来を背負い、老舗建設業4代目は変革に挑む

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北海道紋別郡湧別町は北海道の北東部、オホーツク海とサロマ湖に面する人口8,400人ほどの町です。農業・畜産業に加え、海に面していることから海産資源も豊富な土地。そんな湧別町の老舗建設会社である株式会社西村組では、若手社員の採用難や組織風土の醸成など、様々な課題を抱えていました。
西村組の未来の為、湧別町の発展の為、西村組では大胆な変革に打って出ます。

今回は、そんな西村組の取締役採用責任者である西村幸志郎さんにインタビューし、西村組の挑戦についてお聞きしました。

※西村組についてはこちらの記事も併せてご参照ください。
https://media.suke-dachi.jp/posts/particular/veteran-challenge/


西村組取締役採用責任者 西村幸志郎さん(※取材はzoomにて実施)

大学時代、日本一周の旅をしていく中で家業を選ぶ

「大学4年生の頃、自分が何をやって生きていきたいか迷ってたこともあり、車で4ヶ月くらいかけて日本一周の旅に出ました。その中で100社くらいの方に『うちで働かないか』と声をかけて頂いたりしていたので、色んな仕事をやってみて、そこで一番合う仕事についたらいいかと思っていました」

こう語るのは株式会社西村組の西村幸志郎さんです。西村さんは西村組の現社長 西村幸浩氏の長男で、将来的に西村組の社長を継ぎ4代目となる予定ですが、元々は西村組を継ぐと決めていたわけではありませんでした。

「実は家業に入る前、父がどんな仕事をしているかさえ知りませんでした。小さい頃、たまに薄緑色のカッコ悪い作業服着てたなって記憶がある程度で(笑)。父も敢えて家業を意識させないようにしていたんだと思います。継ぐ継がない以前に、どんな仕事なのかも話さなかったので」

家業のことは深く意識せず、西村さんは日本一周の旅に出る中で自分の目指したいことを探していこうと考えました。

「旅の中で、ふと自分が大事にしているものについて振り返ることがありました。そこで、カッコよく生きたい、有名になりたいという言葉が浮かんできたことと、人の幸せを志したいと思いました」

人の幸せを志すというのは西村さんの名前である『幸志郎』の由来でもあります。

「それらを考えた時、家業に戻って自分がより良い会社にしていくことができれば全てクリアできるのではないかと考えました。ちょうどそのタイミングで、西村組の前会長である祖父が亡くなったこともあり、背中を押されたように感じて家業を継ぐ事を決めました」

サッカー部時代の原体験、感動を共有できる仲間を求めるが、現実とのギャップ

「実は西村組に入って3日で辞めたいと思ったんです(笑)」

西村さんは苦笑しながら語ります。

「元々、私の中で仲間と働くイメージは高校時代のサッカー部にありました。高校で札幌の強豪校に入って、大きなビジョンに向けて仲間と取り組んで、優勝して嬉し泣きできた瞬間がたまらなくて。仕事でもそんな仲間と一緒に大きなビジョンに向けて走っていきたいと思っていました」


仕事の原点である高校サッカー部

ですが、入社時の社内の印象は、サッカー部のイメージとは大きく離れていました。

「これって会社なの?って思いました(笑)。雰囲気が暗いしどんよりしていて、新入社員を受け入れる雰囲気もない。もちろん、社長の息子って事で距離感が分からないって事もあると思いますけど、そもそも社員同士のコミュニケーションもありませんでした」

西村さんが会社に対して漠然と感じていたイメージはITベンチャー企業のような、熱気や勢いを感じる場所でしたが、地方の老舗建設会社とのギャップは大きいものでした。

「私は激務薄給でもあまり苦にならないタイプなので、ブラックなベンチャー企業の方が性に合ってるとは今でも思います(笑)贅沢したりするのも興味ないですし」

西村さんが最初に配属になったのは工事部で、施工管理者として現場の写真を取ったり書類仕事を進めながら、西村組の課題について把握していきました。

「バラエティ番組でクイズに答えながら別の人に時限爆弾をパスしていくものがありますよね?まさにあれと同じで、自分の手元にある間に時間が切れてしまって爆発してしまうという危機感がありました」

西村組の経営状況は健全そのもの。無借金経営で毎年利益も出ており、経営環境の変化にも対応できるだけの企業体力も十分にあります。ですが。西村組の課題は経営面ではなく、組織面にありました。

「人間の体でいうところの低体温症だと思います。会社の空気が冷え切っていて、誰かが変えようと声をあげても無関心。日々の作業をこなして、その間に休みをもらって、我慢の対価としてお金をもらってる感じで、このままだと組織として西村組が終わっていくという危機感を感じました」

実際に、西村組には30代〜40代の若手社員が少ない事や、早期退職が多いという課題がありました。その背景には、若手社員を受け入れ、育てていく文化ができていないことがあります。

最大の課題は採用

「とにかく採用を何とかしないと西村組に未来はないと感じ、代表を含む全役員を説得して採用担当になりました」

採用担当になってから、西村さんはまず現状の理解につとめました。どういった募集ツールを使っているのか、どこにどれくらいの費用を使って、どれくらいの人が集まっているのかなど定量的な分析を進めます。

「採用なんてやった事がないですし、そもそも私自身が就職活動をあまりやってきていなかったので、何からやったらいいのか分からず、それでもやらないとと思って、思いつく限り手をつけていきました」

学生との連絡手段をLINEに変えたり、広告媒体を見直したりと、試行錯誤を繰り返していきました。

「Twitterの活用はその頃に始めた施策でした。そもそも地方の建設会社をどう売り出すかって考えても厳しいと思っていたので、まずは自分自身が広告塔になるしかないと考えてTwitterの運用に取り組み始めました」

そんな中、西村さんがTwitterでフォローしていたブランディング企業『トゥモローゲート株式会社』の社長 西崎 康平さんが「今一番仕事したい会社かも」とツイートしたことがきっかけで、西村組は自社のブランディングに取り組むことになります。

「元々私自身が康平さんのファンで、康平さんのツイートを逐一チェックしたり引用リツイートしたりしてましたが、このツイートでやるしかないと決心し、初めて社長役員含めて自分から内線をかけました」

ここから西村組は大きな変革に挑みます。

ビジョンマップ、MV、社内ドラマと新しい打ち手を展開

「ビジョンマップの作成はトゥモローゲートさんとの取り組みで最初に行ったことで、異動してから最初の大仕事でもありました」

ビジョンマップとは、会社の未来の姿やあるべき姿(ビジョン)を視覚化したものです。会社の理念や存在理由(ミッション)を言語化して共有化し、社員の目指す方向を一つにする為のものです。

「今までは皆がどこを目指しているのか分かるものがなかったですし、それを言葉で出すこともありませんでした。仕事で気になる事があっても言わない風土があり、皆が会社で仮面を被っている感じでした。ビジョンマップを通して、そういった感情や西村組に対する思いを共有した上で形にする事ができました」


西村組の社員全員で作成したビジョンマップ

「また、採用活動の為にMVを作ったり、西村組の管理職会議をドラマ化した動画を作ってYouTubeで配信したりと、新しい事にどんどん取り組んでいきました」


採用のブランディングとして、プロの楽曲並のMVを作成


西村組が変わっていくきっかけになった管理職会議をドラマ化

後押ししてくれる役員の存在

「新しい事に取り組んでいくなか、工藤さんの後押しは本当に心強く、頼もしかったです」

老舗企業ではしばしば、社長の後継者が会社を変えていく際に古参社員から反対に合う事があります。ですが、西村組では工事部執行役員の工藤さんが西村さんの後押しをしてくれました。

「工藤さんには事あるごとに助けてもらっています。今まで通りやってる方が疲れないって分かってるけど、それじゃ会社に未来はない。工藤さんもそれを分かってくれて、私みたいな経験もない若輩がやろうとしてる事を理解して、ついてきてくれている。工藤さんがいなかったら私は西村組を辞めてたと思います(笑)それくらい尊敬してますし信頼しています」

工事部は100名近い社員が在籍しており、実務の上でも西村組の要になっています。そのトップである工藤さんが変わろうとしているという事は、西村さんにとって大きな力になりました。


社歴20年のベテラン社員も変革を後押し

「私は運が良いと思います。西村組は社内の雰囲気こそ良くなかったですが、社員一人一人は素敵な人が多くて、燻っているという状態でした。私自身はそこに火をつけるマッチみたいなもので、放っといたらすぐに消えてしまう。工藤さんを始めとして、それを助けて燃え続けてくれる西村組の皆には本当に感謝しています」

変化の手応え

さまざまな取り組みが少しずつ結実し、西村組では変化が起き始めました。

「まず、新卒採用のエントリー数が倍に増えました。また、インターンの人数も増えています。まだまだ必要な人数には及びませんが、変化の兆しとしては手応えを感じています」

入社した社員の中には九州出身の学生もいます。西村さんのTwitterはフォロワー数1万人を超え、西村さんの影響でエントリーする学生も出てきました。

「もちろん、誰でも採用しているわけではないです。一人の人生がかかっていますから。それでも反応が増えてきたのは本当に嬉しいですね」


内定者(写真左)のアルバイト先にて

徐々に高まる社内の温度

「トゥモローゲート主催で複数社の内定者と新入社員が一緒に行う研修イベントがあり、そこで西村組の新入社員が西村組の会社説明会をするという試みがありました。その時、発表をリアルタイムで見ていた社員から応援のコメントがTeamsに届くようになりました」


社内から自然と起きた応援のコメント

西村組では社内のコミュニケーションにMicrosoft365のTeamsを使っています。今までは個人間のクローズなやりとりが主でしたが、内定者や新入社員が熱量もって会社の事を語ってくれるのは古参社員にとっても嬉しい事で、応援する声がTeams上にあがりました。

「誰もが知っている、誰も見たことがない建設会社」を目指して

西村組の変化を感じながら、西村さんは将来に向けての展望を語ります。

「これからも新しい事をどんどん仕掛けていきたいです。例えば週休3日制とか。建設業では週休2日制になっていくみたいな話もありますが、西村組では更に進んで週休3日です」

また、フレックス制度の導入など、西村さんは新しい取り組みについて構想を進めています。

「フレックス制度をやりたいと言ってる社員がいたので、その社員に旗振り役になってもらっています。これやりたい、あれやりたいという声をどんどん上げていって、上司や役員を疲弊させるような会社じゃないとこれからは上手くいなかないと思っています」

一人が引っ張るのではなく、あくまで皆で会社を変えていくのが西村組のスタイルです。

「西村組は『誰もが知っている、誰も見たことがない建設会社』をビジョンとし、『”築く”人をモノを豊かさを』というミッションを掲げています。このミッションにブレなければ、極論ですが建設業をやらなくてもいいと思っています。それくらい自由にやっていきたいです。

湧別の街づくりに関しても、西村さんは取り組みたいと考えています。

「採用人数を増やすと移住してくれる人も増えることになる。だったら楽しい街にしないと来てくれる人たちがかわいそうだと思います。これは民間だけでも役所だけでもできないので、官民一緒にやっていきながら、町や地域を盛り上げていきたいと思っています」

西村組の挑戦は続きます。