TOP インタビュー 成果主義からの脱却 老舗建設会社を支え続けたベテラン社員による変革への挑戦

成果主義からの脱却 老舗建設会社を支え続けたベテラン社員による変革への挑戦

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北海道紋別郡湧別町は北海道の北東部、オホーツク海とサロマ湖に面する人口8,400人ほどの町です。農業・畜産業に加え、海に面していることから海産資源も豊富な土地。そんな湧別町の老舗建設会社である株式会社西村組では、若手社員の採用難や組織風土の醸成など、様々な課題を抱えていました。
西村組の未来の為、湧別町の発展の為、西村組では大胆な変革に打って出ます。

今回は、そんな西村組の執行役員工事部長である工藤さんにインタビューし、西村組の挑戦についてお聞きしました。

※西村組についてはこちらの記事も併せてご参照ください。
https://media.suke-dachi.jp/posts/particular/construction-industry-inovation/


西村組 工事部執行役員 工藤 貴弘さん(※取材はzoomにて実施)

大学の先生に勧められ入社。28年間、西村組の工事を担う

株式会社西村組は湧別町に本社を構える建設会社です。創業は1936年、海洋土木事業を主とし、北海道の漁業を支え続けてきました。自社雇用の作業員が100人以上在籍している為、施工技術が蓄積され、顧客の困りごとにも幅広く対応できる、高い技術力を誇ります。

「大学では土木工学部だった私は、卒業と同時に西村組に入社しました」

工藤さんはこう語ります。工藤さんの実家はオホーツク管内にあり、実家の近くにあったこともあり、大学の先生に勧められて西村組に入社しました。最初に配属された部署は工事部。工藤さんのキャリアはここから始まりました。

「最初は札幌支店の工事部に勤務して、港湾工事を主に担当していました。北海道では、オホーツク海、日本海、太平洋と3つの海を中心に現場をまわりますが、オホーツク海では冬になると流氷が流れてくる為、船を港に入れることができなかったり、時化が続くと工事ができない事もありました」

港湾工事では、海はお盆前に叩けというしきたりがあります。9月10月になると海の条件が悪くなってしまう為、工事ができる時期に終えてしまうという、昔ながらのルールです。

「北海道は広いので、オホーツク海と日本海と太平洋それぞれに面しています。それぞれ気候による条件も異なり、夏は日本海はいいけど太平洋は工事に向かないなど、複雑な天候条件も見極めて工事を進める必要があります」

複雑な条件が日々変化する海に対して、工藤さんはがむしゃらに挑み続けました。その甲斐もあり、3年目の頃には新しい工事をほぼ全て一人で任されるほどになりました。

「当時は人の3倍働いて、人の倍の給与をもらうという風潮がありました。その頃は世の中の価値観にも合っていたと思いますが、今の時代には合わない考え方だなと思っています」

苦笑しながら工藤さんは語ります。

たった1度の遅刻で失う信用

仕事が順調だった工藤さんですが、ある日、大きなミスをしてしまいます。

「ある時、現場に遅刻してしまったことがありました。私が現場監督を任されていた仕事で、当時は朝6時から仕事をしていましたが、その日は寝坊してしまって10分か15分ほど遅刻してしまいました」

その現場には協力会社の社長も入っていました。社長は、工藤さんが現場にいないと気付き、憤慨します。

「『お前が何度成功しても認めないけど、お前の失敗は3年も5年も覚えてるからな!』と言われてしまいました。これは腹にドシリときまして、それからは寝坊する事はなくなりました」

工藤さんは、社長の厳しい言葉よりも、社長の信頼を裏切ってしまったことに後悔しました。同時に、それだけ信頼されていたということも分かり、有難いという気持ちが湧き起こりました。

「その会社とは今も良いお付き合いをさせて頂いています。あの時、社長に言われた言葉は今も大事な教訓として生きています」


現場の仲間との一枚

成果主義の社風に漠然とした違和感

工藤さんは、若手の頃に西村組に抱いていた印象についてこう語ります。

「当時は横の繋がりも見えずらく、若手を育てるような環境はなかったと思います。若手は先輩の背中を見て、作業員さんに分からない事を聞いて、自分で覚えていくといった風潮でした」

これは成果主義の影響でもあります。働いた人には働いた分だけ給与で報いるという意図でできたものでしたが、それが逆に個人主義的な組織風土を作る要因にもなっていました。

「私が具体的な課題意識を持ったのはずっと後で、担当課長として部門員のマネジメントをするようになって初めて分かってきました。恐らく、同じように漠然とした課題感を感じていた社員は私以外にも多かったのではないかと思いますが、これを個々で受け止めていた事が大きな課題だったんだと思います」

若手の頃から感じていた違和感、時代の風潮もあって良しとされていた事もありますが、工藤さんは西村組の風土が今時の考え方と少しずつ離れていくのを感じていました。

西村組4代目、西村幸志郎氏の入社

「2018年の4月に、西村組に幸志郎君が入社しました。入社して最初は工事部に配属になったので、部下と上司という形でした」

西村幸志郎氏は西村組現社長の西村幸浩氏の長男で、西村組の4代目として将来の西村組社長になる予定です。

「最初は社長の息子ということで、どんな若造が入ってくるのかという気持ちもあり、不安の方が大きかったです」

ですが、幸志郎氏に実際に会った時、その不安が杞憂だったとわかります。

「元気も良く挨拶もしっかりしており、現場で作業員さんとのコミュニケーションもしっかりしていました。その後、幸志郎君は経営企画部に入り、採用担当する事になります」

幸志郎氏と接していく中、かねてより工藤さんの中にあった西村組の課題が明確になっていき、会社を変えていこうという行動に繋がっていきました。

「その頃、人を育てるという事について悩んでいました。ただ仕事を教えるのではなく、人が育つ風土や環境をいかにつくっていくか、その為に役職者として何ができるかを考えていた中で、幸志郎君の思いに共感し、幸志郎君と一緒に西村組を変えていこうと決心しました」

ここから、西村組の変化が始まります。


年代も歩んできた道も異なる2人、会社を変えたいという思いは共通

ビジョンマップが会社の空気を一変させる

「西村組では会社の風土を変える為に新しい取り組み実施してきましたが、その中でも、ビジョンマップの作成は会社の空気を大きく変えました」

ビジョンマップとは、会社の未来の姿やあるべき姿(ビジョン)を視覚化したものです。会社の理念や存在理由(ミッション)を言語化して共有化し、社員の目指す方向を一つにする為のものです。

「ビジョンマップを作るにあたり、社員全員が集まってそれぞれの思う西村組の理想を共有し、皆で作り上げていきました。こういった取り組みは西村組創業以来初めてだったと思いますし、このプロセスがあったからこそ、できあがったビジョンマップが社員に浸透し、個々人の方向性がブレずに進んでいけます」


西村組のビジョンマップ。目指すべき未来の姿をそれぞれ『VALUE』『MISSION』『VISION』として言語化

採用プロモーションにYoutubeの動画を活用

西村組では2021年4月に、採用のブランディングとしてMVを作り、YouTubeで配信しました。それもプロのアーティストが歌うのではなく、西村組の社員が出演し、幸志郎氏がボーカルを務める形で西村組で働く社員をPRしました。

「MVを最初に社内で提案したのは幸志郎君でした。最初はみんなびっくりしましたが、実際に撮影が始まるとわきあいあいとした空気で進むようになり、1ヶ月ほどで収録は終わりました。撮影は全て私たちの職場を使っていましたので、身近にあるオフィスが動画になっていくのを見ると自然と愛着が湧いてきます」

また、西村組では『西村会議』という、西村組が変わっていくきっかけになった管理職会議を映像化してYouTubeで配信していますが、こちらも西村組の管理職が参加し、当時の様子を実演しています。

「動画を作ったことによって、他の会社さんからも面白い事やってるねと言われるようになり、これも西村組の雰囲気が変わるきっかけになりました」

一人が変えるではなく、皆で変えていく

工藤さんは西村組の変化についてこう語ります。

「西村組はまだまだ変わっていく途中の会社ですが、今までとの大きな違いは『皆で変えていく』ことを意識できるようになった点です。今までは個々に課題意識を持っているけど、具体的な行動を起こさない、一緒に行動できる仲間がいないという状況でした。それが、社内の空気が変わってきたことにより、新しい事に取り組む声をあげやすい、声をあげた社員を応援するような空気になってきました」

会社の根幹は変わっていない、だからこそ変わっていける

「元々弊社は職人気質の社員が多く、技術力に誇りを持っていました。また、会社側にも、そんな社員達を大事にしていきたいという思いがありました」

西村組が成果主義を導入していたのも、金銭的な報酬によって社員の仕事に報いる形をとってきたためでした。

「それが時間が経つとともに短期的な成果を目指す事に繋がってしまい、お客様や地域の為に仕事をしたいという気持ちとの間に溝ができてきたんだと思います。また、時代の価値観としても、金銭的な報酬が必ずしも幸せに繋がらなくなってた事もあり、社員が個々に『このままでいいんだろうか』と漠然と感じる空気が生まれてきました」

こういった気持ちの溝が、新しい取り組みによって埋まりつつあります。

また、工藤さんはこれからの西村組で、人が育つ風土を醸成していきたいと考えています。

「先輩の背中を見て育つのではなく、自分達が新しい事に挑戦していけるようになるよう、会社の風土を変えていきたいと思います。社員や求職者が西村組を誇りに思えて、お客様が西村組を熱望してくれる。そうやってワクワクしながら皆が仕事していけるようにしていきたいです」

西村組では、『誰もが知ってる、誰も見たことがない建設会社』というビジョンを掲げています。

「いかに自分達がワクワクできるかを大事にしています。そうやって、皆でワクワクしながら会社を良くしていって、業界に新しい風を吹き込んでいく。人を、モノを、豊かさを築く事を会社の存在意義として、地域と共に発展していきたいです」

(文/赤木勇太)